36歳、初めての父への反抗期とその結末。長女ビリーフおそるべし。

ちぇこです。

心の学びをするようになってから、自分の幼少期からのことを何度も何度も遡ってきました。

そして最近、36歳を迎えて初めて父への反抗期を体験したのです。笑

そのことを、今日は書いておこうと思います。

父との関係

心のことを学べば学ぶほど思うこと。

それは、生まれたときから私たちはお母さんのことが大好きであるということ。お母さんにわかってほしいと思っていたこと。お母さんに自分の望む形で愛を与えて欲しかったということ。

そして、ただただ健気に頑張っていたこと。

それを、自分の経験からもとても感じます。

私は、2年前のブログにも書いていたのですが、
初めてインナーチャイルドを見つけてあげた時のこと。

自分は両親に愛されて育ったから、何の問題もないはず。なのにどうしてこんなに生きづらいのか?と思っていました。

2年経ち、今思うことは、愛にはいろいろな形があるということ。
確かにそこに愛があったとしても、例えどんなに愛のある親であっても、私たち人間は地球に生まれ落ちたときから、必ず何かしら傷を作るようにできているのだということです。

こんなふうに書くと悲しい感じもしますが、痛みがあるから優しさを感じることもできるし、闇があるから光も感じられるし、失敗があるから成功を喜ぶことができる。
そんなふうに、両方を体験できるのがこの世界であり、物事には両面があるから学びがあり、実は大きな視点で見た時にはすべてが完璧に整っているのだということを知ったのです。

私は特に母との関係が近かったので、これまでセッションで父が出てくることはほとんどありませんでした。

仕事を任されると不安で辛い…このプレッシャーの原因は、小さい頃のこんな思い込みが原因かもしれない。

父とのことは問題ない、大好きだ、とこれまた思っていたんですね。笑

でも、自分の中でのプロセスが進んでいく中で、ついにちらちらと父の顔がちらつくようになってきました。笑

そこへ、8月に参加したBE研修にて少し幼少期の私と父との関係を見直す機会があり、これは何かあるんだろうなと思うようになりました。

弟の怪我と手術

そんなこんなしているうちに、関東に住んでいる弟が手術をするという連絡が母からありました。

料理をしているときに指を切ったそうで、それが切りどころ(?)が悪く全身麻酔で手術をするとのこと。

弟は、(私が思う限り)男の子ということもあり小さな頃から怪我や病気が多い子でした。

私も弟が大好きでいじめつつもものすごく可愛がっていました。

末っ子の特権とでもいいますか、家族から「なんかお世話したくなる子」という立ち位置をゲットしていたのです。(羨ましいよ。「しっかり者の長女ビリーフ」ががっつり入っている私からしたら!笑)

その手術に関して、どうも弟と両親の間で意思疎通がうまくいっていないようで、両親は私に仲介役を頼みました。

そして私があれこれ繋いだりして、結局とても忙しい中ではありましたが心配でもあったので入院・手術に立ち会いました。

蓋を開けてみたら両親の膨れ上がった不安は杞憂に終わり、手術も全く問題なく終了しました。

そこで初めて、私の中にいろいろな怒りがこみ上げてきました。

・なぜ弟と両親はしっかりコミュニケーションを取らないのか?
・結局私がいろいろと調整する役になる
・これって、昔からのパターンじゃない?
・両親の不安が移って私も不安になった

などなど。これは、この今のプロセスでしか感じられなかったものだと思います。

そんなふうに、「もーくっそぉ~!」と思いながら、弟がリクエストした水やお菓子を買いにコンビニに向かい、病院へ還っている道中で私は、

転びました。

それはそれは派手にずっこけました。

みんな知らんぷりでしたが恥ずかしすぎたので急いで立ち上がり、何事もなかったかのように帰りました。

よくよく見てみると、はいていたパンツの膝の部分が派手にやぶけ、血が飛び散っていました。笑
でも、転んだくらいで診察してもらうのも変だしなぁ…と、私はそのままにしていました。本当はヒリヒリして、なんだか心細かった。

だがしかーし。まあお医者さんや看護師さんのトラッキング力ってすごいですね。

院内を移動しているだけなのに、すぐに「どうしたんですか?」と言って駆け寄ってくれます。

「ちょっと転んじゃいました」と答え待合室へ入った私の元へ、数分後看護師さんが消毒液などを持って来てくれ、手当をしてくれました。嬉しくて、温かくて涙が出そうでした。

弟も麻酔から冷め、両親に報告をして私は帰宅。

なんとなく、心配してもらおうと思って(笑)怪我をしたこともグループLINEで伝えました。
そしたら案の定母は心配してくれました。(過剰なほどに…笑)

でも、父は特にリアクションなし。

しかも翌日、全然関係ないパソコンの設定に関する質問を送ってきたのです。

ここで私は、生まれて初めて父にムッとして、無視してやろう!!!と思いつきます。

私にとって父とは権威であり、優しいけど実は怖かった。その父に今私は、反抗しようとしている!!!きっと人からみたらちっちゃなことだと思いますが(笑)、私にしてはなかなかの冒険でした。

この「怒っている」という感覚を自分で大切にしてあげようと思ったんです。

でも後日、母から別件で電話があった時に、今遅れてやってきた反抗期なんだと伝えたところ、すぐに父に伝わってしまったようで父から「反抗期なんだって?」とLINEが来ました。

そして、「弟とちがってちぇこちゃんはしっかりしているから…」というような弁明の一文の後、

大好きだよ❤

と書いてあって目ん玉が飛び出ました。

私が、何が欲しくてこんな行動を取ったのか自分でもよくわからなかったけれど、反抗することで思わぬプレゼントをゲットしてしまったのでした。そして恥ずかしい。でもうれしい。

思えば、こんなふうに父から直球で愛情を伝えてもらう機会ってなかったなぁと思います。

今回取った「無視してやろう作戦」は良いものとは言えないし、なんだかひねくれてて面倒くさい奴だなぁと我ながら思うのですが(笑)今までのパターンを破ったという意味では私にとっては大きなことでした。

でも、本当は言葉にしなくたって、父からたくさんの愛を受け取っていることは私は知っています。

小学生の時。友達と地図を買って隣町の湖に冒険旅行に出かけました。日が暮れて若干迷いかけたころ、ずっとゆっくり後をつけてくるバイクの男がいました。やばい…と思って振り返ったら、そこにいたのは父でした。心配して後を付けていたのでした。

弟が小さい時。母と私と弟と3人で出かけたら弟がスーパーで迷子になり、母が父に連絡したところちょうど弟が見つかり、勤務先からかけつけた父が顔を真赤にして泣いていたこと。

高校生の時。学校が遠く山の上にあったこともあり、雨の日も風の日も、父は私を毎日車で学校まで送り届けてくれたこと。

大学進学の時。合格した私をものすごく喜んでくれて、入学願書の手続きや寮の見学を一緒にしてくれたこと。

結婚式の日。バージンロードを歩く練習をしようと行ったら「いいよ」と断られたので「余裕だね」と返したら、「余裕を装っているだけや」と言ってまた目に涙をためていたこと。

私が昨年逆算手帳のサンプルを作らせていただくことになり、作ったものが店頭に並んだとき、すぐに見に行って1時間もじっくり読んでいたこと。

…ちょっと、涙で画面が見えなくなってきた。笑

そして、しょっちゅう夫婦喧嘩をしていたのに、離婚すれば?と言うと「しない。父さんほど、ちぇこちゃんたちを愛してくれる人はいないから」といつも言っていた母。

私に何かあると、こっそり父に伝えてくれていた母。

父がいかに私と弟を愛してくれているかを、折に触れて教えてくれている母。

それがあったから、私はいつも父の愛も母の愛も感じられてきたんだなあと、今文章にして改めて思います。

不器用だし、短気だし、突然怒鳴って怖かったけど、私も父のことが大好きです。

そんなことを感じた、36歳の反抗期物語でした。笑

 

タイトルとURLをコピーしました