ちぇこです。
先日、心のことを学んでいるLPL養成講座の第6講が終了しました。
これまでずっと自分と向き合ってきましたが、この数ヶ月はなんだか一番キツかったです。
ずっと低空飛行をしているような感じで、モヤモヤやイライラが続いていたのです。
でも、講座の翌日の行われた講師である岡部明美さん(明美ちゃん)スーパーバイズ(ASV)のセッションにてクライアント役をさせて頂く機会があり、大きくプロセスが動きました。
かなり個人的な内容ではありますが、勇気を出してブログに残しておこうと思います。
私にとって、この日は人生に訪れた、本当の「誕生日」のような感覚でした。
魂が求めるもの
冒頭のとおり、この数ヶ月悶々と過ごしてきた私。
先月のLPL養成講座第5講ではグループでのセッションのクライアントにしていただき(通称小マナ板)、自分の中に溜め込んでいた怒りを開放させました。
とってもとっても素晴らしく、ありがたいセッションでした。
それで少しは楽になるかと思いきや…これまたどんどんいろんな試練が降ってきて、もう疲れ切っていました。
・フリーランスでやっている仕事は、特に営業をしていないのに様々なお声がけを頂き、どんどん内容も幅も大きくなっていく。本当は喜ばしいことなのに、その先に進みたくない自分がいる。忙しくなると自分がなくなりそう。今のままがいい…
・痩せたいけれどマジで痩せられない。ストレスがたまると暴食に逃げるのがやめられない。
・婦人科系もちゃんと整えないといけないし、子供のことも考えた方がいいのだろうけど、やっぱり家族の次のステージに入るのが嫌。今のままがいい。
そんな中、LPL第6講も無事終え、認定カウンセラー/セラピストの試験の説明会がありました。
私自身、カウンセラー・セラピストになるためにこの講座を受けていたわけではなかったのですが、学びを進めていくうちに、もし自分にカウンセラーやセラピストの素質が少しでもあるのなら挑戦してみてもいいのではないか、という気持ちが芽生えていました。一方で「いやいやそのスキルじゃ全然無理でしょ」「お前なんかが受けるの?笑」「本当にそれってやりたいことなの?」という自分の声も同じくらい聞こえてきます。
だから、説明会で受けたい理由を聞かれたときも、なんだか煮え切らないよくわからない返答をしてしまいました。
なんというか、すべてにおいて中途半端。
私って、なにがしたいんだろう???そんなモヤモヤがどんどん膨らんで、その夜は学びの仲間に話を聴いてもらって涙したり、久々に白砂糖のたっぷり入ったパンケーキを食べてしまい後悔の念が押し寄せるのでした…。
そして翌日は、ASV。
もう本当に迷惑な話ですが、なんだか気になって開始の3時間前に連絡をして、ドタ参させて頂けることになりました。
10月のASVはすでにセッションでクライアント役ができる2名が決まっているらしいと聞いていたので、私はモデレーターをするつもりで参加。人のセッションを見るだけで、自分の中で同時に癒やしや気付きが起こることがあるし、生のセッションを見ることで何かヒントを得たいなと思ってのことでした(頭の理解では…笑)
けれど行ってみると、2本のうち1本はクライアントが決まっておらず、立候補できるとのこと。
それに対して2人の方が立候補していたので、私はぼーっとしていたのですが、明美ちゃんより名前を呼ばれて喝(?笑)が入り、久々にドタ参加でこの場に来ているのは、クライアントをしに来ているのでしょう、と、「自分を引っ込めない!」と言われて、本当にその通りだと思い降参。明美ちゃんは本当にすごい。
立候補者のじゃんけんでクライアントを決めることになりました。
いつもじゃんけんをする右手を出そうとしたら「左手!」という声が頭の上の方から聞こえてきたので左手を出したら、またまた「パーだよ!パー!」と聞こえてきたので(怪しい、笑)パーを出したら見事に1発でクライアントをゲットしてしまいました。
立候補していた方には申し訳なかったですが、この時は私の無意識さんに感謝しました。
次のステージに行きたくない
ASVでは、認定カウンセラー・セラピストさんを、クライアントが指名することができます。
私はその時のインスピレーションで、辻元晶子さん(あこちゃん)にセッションして頂きたい!と思い、お願いしました。
セッションが始まり、私のこの全てにおいて「新しいところへ進むときに、このままでいいと思って進もうとしない自分」について話しました。自然と涙も出てきます。
新しいところへ進む(次のステージに進む)と、私の中に「責任が重くなる」「煩わしいことが起こる」「面倒くさくなる」という感覚が強く出てくるのです。
この嫌な感じを説明する時に、私は無意識に両腕を曲げたまま左右に振っているポーズをしているようでした。
あこちゃんに、その動きを増幅させていくように言われ、動作を大きくしていきます。
すると自分の真ん中に大きなからっぽの空洞が広がっている感覚になりました。その空っぽの中は霧が広がっていて何も見えません。
私の身体はここにはなくて、霧を上から眺めている感じ。
そこから、だんだんとこの霧の中に降りていって足をつけるように誘導されます。
足が地面に着くと、霧が身体に水蒸気となってまとわりついて、とっても気持ち悪い。
あこちゃんに促されて、「気持ち悪い」「いやだ!」と声に出してみます。
もっと言ってもいいよ、と言われても、なかなか口から出てこない。感情を乗せることができそうもない。
黙っていると、あこちゃんに「今まで、嫌って言ったことある?」と聞かれ、あまりないなぁ…と答えます。
いつの間にか良い子を演じてきていたので、嫌なことを嫌だと主張することって人生でほとんどありませんでした。
そしてやっぱりというかまたか、というか…この関係性は母との関係性に繋がり、母とのワークを行うことになりました。(母に対して良い子ちゃんをやってきたということ。)
母親の代役を参加している人の中から選ぶことになり、私が選んだのは…明美ちゃん。自分でもびっくりしたけど、明美ちゃんにやって頂くことになりました。
母役の明美ちゃんと向かいあって、近づいてきてもらいます。
始めは、可哀想に見えたり、愛情深い人に見えたりしましたが、そのうち感覚がなくなりました。何も感じなくなり「わからない」と答える。これもいつものパターン。
そして、母へのお返しワーク。内容は忘れてしまったけれど、子供の私が勝手に背負ってしまったものを母にお返しします。
これでめでたしめでたし…かと思いきや。母役のあけみちゃんは、そのお返しを受け取ってくれませんでした。(なんてこった(TOT))
母役ではなく、スーパーバイザーとしての明美ちゃんにいったん戻り、冒頭で私が行っていた手を左右に振る動作は、【2歳児のイヤイヤ期の動作】だと説明がありました。そうだったのか…!
そこでひとつ実験をしてみることに。
私にもう一度同じポーズをしながら「嫌だ嫌だ」と言ってと促されます。
そして、その動作をしている私の元へ、母役のあけみちゃんが近づいてきて私の腕を止め、
「ダメ!やめなさい!嫌って言ったらダメ!!」と声をかけました。
私はそこで、決壊。
自分でもびっくりするほど泣き崩れて足の力もなくなってしまいました。
怖い、悲しい、辛い、苦しい…言葉では表せられないような感覚が襲ってきたのです。
実際に母がこんなことを言ったかはわからないし、言葉じゃなくて私がエネルギーで感じていたのかもしれない。というかどこのイヤイヤ期の母親もこの時期の子供に手こずって叱ったりするのでしょうが、
どうやら私はちゃんとこの2歳児のイヤイヤ期をやりきっていなくて、「NOを言わない」ということを2歳の時に決めてしまったようでした。
いやーびっくりした。本当にびっくりした。
以前、’「本当のやりたい・欲しい」は「本当のNO」を言わないと出てこない’という言葉を聴いたことがあり、頭では理解したつもりでしたが、やっと、腹落ちした感覚でした。
2歳の私が、決意したことだったんだね。そしてそのまま生きてきたということ。
明美ちゃんより、これが、私の人生を曖昧にしているのだと説明され心から納得しました。
私は母を幸せにしなければいけないビリーフ
子供って、本当に母親のことが大好きです。
私も母のことが大好きでした。
でも、母親とは「共依存」の状態であることが分かったのが5年ほど前。私も母に依存し、お互いに大人として健全な境界線が引けていなかったのです。
それを少しずつ見てきたわけですが、頭で覚えている幼少期の記憶って限界がありました。まさかまさかこんな「身体の記憶」が出てきたことに驚くと同時に、体ってすごいなぁとただただ感心しました。
NOを言わないと自分で勝手に決意してしまったことで、私は自分のパワーを隠して私の人生をぼんやりさせ、いつも人の顔色を伺って疲れて、目立ちすぎないように・出る杭にならないように最大限の力を使っていたのでした。
その代償として思い出したのは、小学生の頃私が母に叱られた時に、よくひとりでノートに母に対して酷い言葉を泣きながら書き殴っていたこと。
強烈な言葉だったけど、あの時はノートに書くことで自分のパワーや「NO」の気持ちを精一杯消化させようとしていたんだな、とわかりました。
また、(余談ですが)昔から街中でイヤイヤと駄々をこねる子供とそれを叱る母を見ると子供に対して無性にイライラする自分がいて、そしていつか私に子供ができら虐待してしまうに違いないと思っていて怖かったのですが、この世界がすべて投影であることを考えると、その答えはここにあったのかと納得しました。
でも、NOを言わない選択をして、実行してきたのは子供の自分であること。
もう私は大人だから、気づいたらここから人生を自分で変えていけるということも知っています。
こうして「私は母を幸せにしなければならない」という主題でビリーフリセットをしていきます。
あこちゃんや、GLさん、参加されている皆にも手伝ってもらいまずはデメリットとメリットを出していきます。
▼デメリット
・生きる喜びを感じられなかった
・いつも消えたいと思っていた
・仕事を断れない
・自分を一番に感じられない
・受容されないような感覚
・母の許可がないと前に進めない
・自分を大事にしない
・いつも他人のことを考えている
・自分のことになるとわからない
・ファンタジーの世界にいる感じ(逃避)
・人のことになると力が出るけれど自分のことになると力が出ない
・自分のニーズがわからない
むむむむむ。本当にその通りだ…
▲メリット
・母に感謝された
・がんばれた
・母を喜ばすことができた
・父の代りができた
・母の望む人生を歩めた
そして、置き換えをしていきます。
「私は母を幸せにしなくても良い」という文にした時の理由はわりとすぐに出てきました。
でも、内容を反対に置き換えた「母は私を幸せにしなければならない」という文にした時に、
あまりに私の中にこの概念がなすぎて、白板の文字が「$%#&(=~$#”‘)=(‘&%$」と書いているようにすら見えるほどで(笑)
みんなが考えてくれた理由も急にみんながラテン語を話し始めたのか?というくらい理解ができませんでした。笑
それだけ、この「私は母を幸せにしなければならない」というビリーフが私の身体に染み付いているんだなあ、と思ったのでした。
でも。私は母を幸せにしなければならないなんて、いつ母が頼んだと言うのでしょう…?
向こうからしたら、ありがた迷惑極まりないはず。
もうこれは、卒業だ。
めでたい!!!
***
セッションが終わり、セッションをしてくださったあこちゃんより「スキゾイド」特有の抜けた時・抜けそうになった時の対処法などをアドバイスして頂きました。
スキゾイドとは「キャラクトロジー心理学」で出てくる分類なのですが、きちんと学んでみたいとずっと思っていたので、またひとつ自分に対する理解が増えると思うと嬉しいです。
本当に、本当に私にとって大きなセッションとなりました。
これまで自分が自分にかけていた呪いというか呪縛に気づけた、大切な記念日。
例えるなら、本当の私の誕生日のような感覚でした。
ありがたくて仕方ないです。
翌日も、良い意味で涙が止まらなくて。
ここまでこれて本当に良かった。
先日読んだ「ライフ・レッスン」という本に
感情は、われわれがそれを感じる用意ができるまで、安全なところに貯蔵されている。
という印象的な言葉があったのですが、この日が、そのタイミングだったんだなと思います。
小さな小さな私が勘違いしてしまったことで身につけたビリーフが、大人の私にこんなにも制限をかけている。
でもそれは自分のせいではないし、親のせいでもない。このビリーフは私をこれまでたくさんたくさん守ってくれた。
だから感謝してオサラバするのです。
そして、こうして自分を見つめることができるこの人生は素晴らしいものだと思えるし、
それを見守り、手伝ってくださる心の学びの先輩や仲間に心から、本当に心から、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがたい…(*´ω`*)
まだまだ怖いけど、これからの私の人生が、少しずつより本物に近づいていくことにワクワクしています。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
おしまい。