ちぇこです。
「人に優しくしましょう」なんて、小さなころから教育されて育った私たちですが、
「自分に優しくしましょう」と教わった記憶ってあまりないですよね?
でも、自分に優しくしてあげることって、実は一番大事だなあと思う今日この頃です。
かくいう私も、ずっとこう見えて「自分に厳しくモード」の鎧を長いこと着てきた人間のひとりです。
(え?どこが?という周囲の突っ込みは今回は聞こえなかったことにします笑)
今回、そんなことを痛感する出来事がありました。
お葬式でのうっかりミスと大パニック
先日義祖母のお葬式があり、家族としてお見送りをしてきました。
短い間でしたが、とてもかわいがってくれた義祖母のお葬式。
夫と私もできる限り義父母の手伝いをしました。
入院している義祖父を病院に迎えに行って車いすの介助をしたり、受付をしたり。
こういった側に回ることが私は人生でほぼ初めてだったので、右も左もわからない状態でしたが、義母からの指示を耳をダンボにして聞き、動いていました。
その時に、「受付はしてもらうが、ご焼香が始まったら席にはついていてほしい」と言われていました。
実際にお通夜の受付が始まり、たくさんの方が来てくださり、夫と私は受付業を務めていました。
そしてどうやら、喪主から順にご焼香が始まったようです。
私はそわそわしだしますが、呑気でマイペースな夫は「でもまだこんなに人の波が絶えないのに、ここを空けるわけにはいかなくない?」というので、しばらく受付を続けていました。
するとなんとご焼香の順番が来てしまったようで、名指しのような形で「席に戻って来て下さい」とマイクで呼ばれてしまったのです(´Д`)
私は急いで駆けつけ、焼香台へ向かいます。
しかし、おっちょこちょいですっとこどいの私、ご焼香の正しいやり方ってどれが正解だっけ?とパニック。隣の夫のいとこをガン見。
そして慌てて駆けつけたので、なんとかばんを受付に忘れてきてしまい、数珠が手元にない!と気づきさらに大大大パニック!!!
「あーーー!やってしまった!なんて私は馬鹿なんだろう!!!」
この時に、私のココロの警報機がけたたましく鳴り響き、自分をぐさぐさと刺していきます。
見守っている親族が全員、私を見て
「なんだあれは」「数珠もないのか」「どうしようもない嫁だ」「死んでしまえ」「デブ」
くらいなことを(笑)言われているような錯覚に陥ってしまったのです。(最後の方ただの悪口w)
受付に戻ってからも、自分責めモードは続きます。
今すぐこの場から消え去りたい。「やってしまった」「私はもう終わりだ」そんな気分が抜けません。
そしてこの感覚を1時間ほど味わった後(なげーよ)、少し冷静になって思ったのです。
「あーーー、こんなふうに周囲に責められてると感じて消えたくなる感じ、久々に感じたなあ」と。
そして、「昔は度々、こんな感覚になっていたなあ」と。
世の中や世間、他人から、監視されているような、厳しく責め立てられるような感覚。
でも実際にはそんなことなくて、自分で自分を責めているんですよね。
その証拠に、心がざわざわしている私の横で、夫は全然何にもダメージを受けていませんでしたし(笑)、
「こんなバタバタした慣れない状況なんだから仕方ないよ。僕たちなりに一生懸命やっていて、何も変なことはしてない」と言います。
なるほど、確かに。う、うらやましい…私もそう思って生きてきたかった。笑
それでもまだ、私はお義父さんお義母さんから「ちぇこさんさっきのあれはなに!?」とお咎めがあるではないかとビクビクしていました。
けれど実際にお通夜の後話しかけてきたお義父さんの第一声は、
「お通夜での私のアドリブ付き挨拶、どうだった?(๑• ̀д•́ )✧」との一言。
「( ゚Д゚)…………す、すごく良かったです!!!!」
と答えて終わりました。笑
よく考えたらお義父さんお義母さんはそんなふうに責め立ててくるようなタイプでは全然なかった。笑
ましてや、親戚のみんなも全くそんなことを思ったり言ってくるような人たちでないのは、自分が一番よくわかっているのに。
それでも、こうやって瞬時に自分でこんな負の妄想劇場を繰り広げてしまうことが、三十何年間私が私の脳みそでやってきた回路のパターンであることは間違いありません。
きっと、誰も私たちのことを責めていないし、私の数珠のことなんか見てもいないと思います。
仮に見ていて、もし万が一「なんだあれは。数珠もないのか。どうしようもない嫁だ。死んでしまえ。デブ」と思っていたとしても(笑)、思うのは相手側の自由であり、それに私は支配されるものではないこと。
逆に、上記の言葉たちは、私が自分に向かって容赦なく投げつけている言葉だったんですよね。
無意識で反応してしまうこの心の動き。
きっと深堀していくといろいろあるんだろうなあと思います。
でも自分だけのこの劇場にはまっていることを、やっと少しずつ冷静にみられるようになって、そしてそれらが「勘違いだった」と少しずつ気づけるようになったこの数年は、私にとってとても大きな変化でした。
これからも少しずつ、自分の心のとげぬきは続けていきたいと思います。
おしまい。