ちぇこです、こんにちは。
どこに行っても、なんだか現れる「嫌いな人」。
その嫌いな人の存在で、苦労していませんか?
私も、長年「なんだか嫌いな人」に苦しみ、そしてさらに誰かを嫌いになる自分が嫌いで、二重に苦しんできました。
ところが、少し心理学の勉強をするようになってから、人を嫌いになる仕組みを初めて知って目からウロコが落ちたのです!!!この仕組を知っているだけですごく心が楽になったんですよ。
そこで今回は、【人が人を嫌いになる仕組み】について説明したいと思います。
それではいってみましょう!
私たちは、相手を通して自分劇場を上映している。
私たちは、日々「自分劇場」を上映してそれを自分で観ながら生きています。
どういうことかというと、まず私たちは自分のフィルターを通して、
- 人
- 物事
- 状況
- 光景
などを解釈しています。
このフィルターはそれまでの自分の経験や思考パターンが元になります。
そして個々が自分で解釈したプロジェクターを通して、オリジナルの自分劇場として上映し、自分で見ているのです。
そしてこの解釈の根底には、無意識の思い込みがたくさんあるんです。
「人」を自分劇場で観た場合。
私には前職ですごく嫌いな男性上司がいたのですが、その人の嫌いなところは
すごく短気で、すぐに怒りの感情を露わにするところでした。
その怒っている内容が正しくても正しくなくても、「どうしてそこでキレる必要があるのか」とすごく理不尽に思っていたんですね。
一方で、怒りの火の粉を浴びないように、先回りして先回りして行動したり、機嫌を取って常に顔色を伺っている自分がいました。私が勝手にやっていることではありますが、いつもビクビクしているし、すごく疲弊します。
では、私がこの怒りを露わにする上司が嫌いという事実には、どんな私の「解釈」が入っていたのでしょうか。
探ってみたところ、大人なんだし、怒りの感情は自分でコントロールすべきである、という私の思いがあることがわかりました。もっと探ると、怒りという感情は良くないものである、とも思っていました。
では、次に、この解釈は私のどんな感情がくっついているのか、そしてどうしてそう思うようになったかをさらに探ってみます。
そこには、「怒りを表現すると人が離れていく、そして嫌われてしまう」といった思い込みと恐怖がくっついていました。
それをさらに深掘りすると、深層心理ではみんなに嫌われてしまうと私はもう生きていけない=生存の危機!だと感じていることがわかりました。
こうした解釈を真実だと信じて、私は私の中にある本来ある「怒りを表現する」ということを無意識に抑圧し、ないものとして扱っていました。蓋をしていたんですね。
だからこそ、目の前で堂々と怒りを自由に表現する上司は私の中では不快な人=嫌いな人、になっていたんです。
怒りを表現することに関しては、他にも人によっては幼少期に家の中に怒鳴り散らす人(親など)がいてそれが不安な気持ちとしてこびりついていたり、または自分が怒って余計状況が悪くなった出来事があってトラウマになったりといったこともあるかもしれません。いずれも、最終的には「自分の生存の危機」に辿りつくのです。
これは無意識の世界の話なので、普段は全く気づいていません。
怒りっぽい上司が嫌いだ
↓
怒りは出すべきものではない
↓
だから自分は怒りなんて出さない
↓
自分の中で実は抑圧しているだけ
↓
本当は怒りを表現したい
つまり、今目の前にいる嫌いな相手が持っているもの(怒りを表現する)は、実は抑圧していただけで私も持っていたものだったということです。
もし私が怒りを表現することを抑圧していなければ、上司が怒っている場面に遭遇しても、(まぁ気分が良いものでないことに変わりありませんが)『あぁまた怒ってるよ』と思ってほっとけるんです。
ほっておけるというのはすごく大切で、ほっとけないから執拗にイライラして、『嫌いだ!』と思っちゃうんですよね。この『嫌い』に使うパワーって、すごくもったいないです。
このようにして分析するだけでも、すごく楽になったのです。
(ちなみに怒りについてはこんな記事も書いています▼)
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ただし、そうはいってもなかなか自分では自分に原因があるなんて認められないこともあります。「いーや、これは絶対アイツが悪いんだ!」と思うことは多々あると思います。それほどまでに自分劇場は自分と一体化しています。
また、解釈までは自分で見つけることができても、それより下層にある思い込み(恐怖や不安の部分)までは、一人でたどり着くのはけっこう至難の技です。それを手助けしてくれるのが、カウンセラーさんやセラピストさんだったりするのです。
私は今後生きて行く上で、もっと気軽にカウンセラーさんやセラピストさんを頼っていけたらいいなと思うようになりましたし、日本がそんな社会になればいいなと思います。
あれ。話がそれました。笑
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「状況」を自分劇場で観た場合。
続いて、ある「状況」で自分劇場はどんな上映をしているか見ることもできます。
例えばある人からこんなセリフを投げかけられたとします。
「今日は、1日中寝ていたの?」
ここに、このセリフを同じように投げかけられたAさんとBさんがいたとします。
AさんもBさんも同じ会社に勤める同僚で、毎日残業続き。日曜日は疲れてとにかくゆっくりと寝てすごしました。
そこで言われたこのセリフ。
それぞれの感じ方を見てみますね。
「今日は、1日中寝ていたの?」
Aさん:「そうそう、いつも寝不足だから最高の休息日になった!」
一方Bさん。
「今日は、1日中寝ていたの?」
Bさん:「え?悪い?」
Bさんに何が起こったかというと、Bさんには上記のセリフが「今日は1日中寝て怠けていたんだね」と聞こえ、そしてそれを咎められているように感じたのです。
みなさんはどちらでしたか?私はBさん派です。笑
まんまと自分劇場の「責められているストーリー」を上映しています。笑
もちろん言った人や言われ方もあるとは思いますが、セリフ自体は「今日は1日中寝ていたの?」というシンプルなものが事実ですよね。
Bさんがこう解釈しているからには、深掘りしていくと「1日中寝ているような怠けた行動はダメだ」「きちんとした生活を送るべきである」と自分で思っていることが大前提としてあります。
また、怠ける自分はダメだ・嫌だ、と自分を抑圧しているので、他人の口を通して出てきた言葉が自分を怠けているダメな奴だと責めているように感じてしまうのです!!!
つまり自分でないものとして抑圧している感情は、逆説的に他者を通して自分劇場で見せられるのです。ひ~。いやだいやだ。笑
だから、人に投げかけられた言葉にすぐ反応してしょちゅう怒っている人は、それだけ地雷ボタンがいっぱいあって、その底には見ないようにしている抑圧している恐れの感情がいっぱいあるということなんですよね。
さきほど出てきた私の上司は年がら年中怒っていましたから、本当は不安と恐怖の塊であったということがわかりますし、
私は私で怒りを表現すると生存の危機を感じてしまってその上司に反応してしまっていたので(笑)、シンプルに私が自分の中にある怒りの感情を表現することを抑圧するのをやめて、怒りたいときにはしっかり怒れば良いのです。
怒りを表現する自分を許してあげる。そして自分を癒やしてあげる。
それが、むやみに嫌いな人を作らない方法なのだと、わかったのです。
要は、自分をいかに認めて愛してあげるかということなんですよね。
やっぱり、自分のことが嫌いだと抑圧している部分が多くなります。その分抑圧した部分を目の前で見せてくれる人がたくさん現れるから、嫌いな人が増えてしまうんです。
…といったわけで長々と書いてきましたが、
嫌いな人を作ってしまう原因は、自分の中にある無意識の恐れが原因であること。そして自分で自分を抑圧していることを自覚して、その抑圧を開放してあげること。
そうすることで、楽になっていきます。
ただ、こういった自分の「思い込み」「ビリーフ」って本当にたくさんあるみたいです。
もちろん良い思い込み・ビリーフもたくさんあり、それがあるから生きていけるものもたくさんあります。
でも自分の中で生きづらいと思う原因になっているものは、手放していきたいですね。
いかがでしたでしょうか。
今回は、嫌いな人ができる原因として、自分劇場のお話をしました。
私たちは、相手が悪いと思ってどうしても相手を責めたり嫌いになったりしがちです。
でも本当は、原因はすべて自分の中にあるんですよね。
モヤモヤしたりイライラして深みにはまってしまったときには、ぜひ騙されたと思って「これは自分劇場である」ことを思い出してみてください。そしてその解釈が本当なのか?疑ってみると良さそうです。
そしてこの「結局は自分が原因である」ことを痛感するのが、今夫婦でハマっているラジオの「テレフォン人生相談」で寄せられる相談内容の数々です。笑
本当に、様々な人生劇場を観劇することができ、またとても勉強になるんです。
次の記事からは、テレフォン人生相談から見る、「自分劇場」についてご紹介したいと思います^^