ちぇこです。
昨日ついにディズニーの実写版「美女と野獣」がついに公開になったので早速観てきました♪
映画館の一角には、美女と野獣コーナーが!
ガラスのローズドームが飾られていました~!
素敵な薔薇!!そして大きい!!!
入場の際にはこんなポストカードもいただきました☆ラッキー♪
種類はもっとあるのかな?夫は「僕は野獣がよかった(´・ω・`)」と残念がってましたw
ではここからネタバレありの感想を書いていきます。
魔法は解けてほしいけど、解けてほしくなかった
さて映画ですが。
この名作を、これだけのプレッシャー?の中で制作するのは本当に大変だったと思います。
でも建物や骨董品、洋服などデティールの再現性がす薔薇しかったです。(←美女と野獣に関連して「薔薇」という単語を使いすぎたためこう変換された。笑)
スタッフのみなさんの本気を感じました。
本当にその時代にタイムスリップしたかのようなトキメキを終始感じることができました。
エマのベルも素晴らしかったですし、野獣も可愛かったなあ。ちょっと可愛すぎたような気もします。笑 もっとモサモサーーッとした荒々しいイメージだったんですけど、けっこうシュッとしてました。笑
それと、わたしはやっぱり最後魔法がとけても野獣のままが良かったなあなんて思ってしまいます。
「魔法がとけてイケメン王子様が現れてめでたしめでたし」というのがどうもシックリ来ないというか。
なんだろう。
私は、物語を通して「野獣」にとても惹かれていったし、ベルだって野獣の姿の野獣を愛した。
物語を観ているこちらとしては「見えている姿ではない、こころが大事!!」というとても大切で素敵なメッセージを受け取ってほっこりしていたところへ、
結局王子様の姿に戻って完璧なフィナーレを迎える。
…それはつまり、あの愛おしい野獣を否定して消し去ったということになります。
結局、野獣じゃだめってことなの!?
あのかわいい野獣は忌々しくて、消し去られるべき存在なの!?
と思ってしまったんですよね。
おっと、書いていて、自分が野獣にずいぶんと感情移入していることに気づきました。笑
私の理想としては、野獣となった王子様が愛することや愛されることを覚え、当初は絶望的に感じていた今の姿の自分そのままを愛するようになった。という感じが理想だったのかもしれません。
でも、家来たちも人間の姿に戻してあげたいし、最後ベルが優しい目を見て野獣が王子様だと確信してキスをするシーンはやっぱり感動的だったので、これはこれでよかったです。
「多様性」が随所に散りばめられていた
そして、そうはいっても「お金持ちの王子様」と「美女」が最終的には最高の条件で結ばれる今迄のような「ザ・プリンセスストーリー」ではないものを感じるところがたくさんありました。
最近のディズニー映画(「ズートピア」や「モアナ」)を観て、どちらも共通する点としてすごく感じたのは、
ステレオタイプの王子様を必要としない物語
ということです。
王子様というのはそれまで幸せの最上級的象徴といった感じで、それを掴み取ることこそがみんなの憧れを掻き立てるというか。
もちろん、今回は不朽の名作の実写化ですから、ストーリーはかなり忠実に再現されていて、それは本当に素晴らしいものでした。
でもそれにプラスして、ズートピアやモアナのような多様性についてもところどころでメッセージとして挿入しているなあと思いました。
例えば、社交パーティや家来の中に黒人が半分くらいいたこと。(正直これは、歴史的な観点から見てどうかなと思うので賛否はあると思います。)
また、家来たちがそれぞれいろいろな国のなまりの英語だったこと。
ガストンの家来がゲイだったこと。
三銃士のひとりが女装で女性性を開花させていたこと。
(女装させたタンス夫人が「自由に生きて!」とメッセージを投げかけてたことろも良かったです。)
ベルの母は疫病にかかり、ベルを守るために父はベルを連れて妻のもとを離れたこと。(愛のために、そういう選択を取ったということ)
特にジェンダーについてはけっこう切り込んだなあという印象があります。
現に同性愛を描いたという理由で上映禁止になっている国や地域もあり、話題を呼んでいますもんね。
価値観はそれぞれで、正しい正しくないは存在しませんが、私はこれだけ子供から大人まで世界中で愛されるディズニーが、先陣を切って多様性を表現をしていくのは素敵なことだなと思いました。
相変わらず、完成度の高いディズニー映画。
とっても良い映画でした。
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