ちぇこです。
昨日、私が今学んでいる「LPL養成講座」でグループリーダーさんを務める、佐倉亜希子さんと菊池かおりさんが主催されている講座に参加しました。
その講座の中で、今現在での私のミッションを改めて実感したので記録として残しておきたいと思います。
OSHO禅タロットを使ったセッション
6月から始まったこの講座。
LPL養成講座本講で扱っているメソッドをより詳しく学べてかつ実践もあるので、とてもうれしい学びの場です。
何より、レクチャーしてくたさる佐倉亜希子さんと菊池かおりさんは私の憧れの魔女…じゃなくてカウンセラー・セラピストさん(*´ω`*)
今回の講座のテーマは「OSHO禅タロット」。
OSHO禅タロットは、インドの宗教家バグワン・シュリ・ラジニーシ氏(通称OSHO)の弟子が作ったカードです。
「今、ここ」の理解を得ることに焦点をあてていて、何よりも「気づき」を大切にしています。
「タロットカード?怪しい…」と思われるかもしれませんが、私自身OSHOタロットを使ったセッションでこれまで何度も気づきを得てきました。
このカードを通して、自分の潜在意識は様々なことを教えてくれるのです。
OSHOカードを使った六芒星セッション
今回の講座の中では様々なことを学んだのですが、中でも私が印象的だったのは、OSHOカードを使った六芒星セッション。
六芒星に、それぞれ愛・お金・ミッション・父・母・”X”を置きます。
そして”X”はこの六芒星の配置の中でキーワードとなるカードを1枚引くのです。
私は、下向きの三角形▼の真ん中に「ミッション」を置き、上向きの三角形▲の頂点に「X」を置きました。
私がミッションに向かっていく中で、キーとなるものはなんだろう…?そんな問いを立てたのです。
出てきたカードは「AWARENESS」【覚醒】。
私が心のことを学び始めて3年。
「この3年で何が分かった?」と聞かれたら、「自分のことが何ひとつ分かっていなかったということが、分かった」と答えます。
それくらい、これまで生きてきた中でいくつもの傷をなかったことにして、隠して、感情を味わいきることなく
都合の良いように自分を人に合わせ、環境に合わせ、生き延びてきた。そしてそうすることで傷つけた人もたくさんいます。
自分の本当に感じていることが、わからなくなっていた。
でも、もうその生き方はもうできない。したくない。そう気づいてしまった私がいました。
それまでのやり方は私にとってとても馴染みがあったし、安全だったし、メリットもたくさんあった。
それでも私としてのたった1度きりの人生を、活かしてあげたい。
そう考えた時に、これまでの自分の生きづらさや感じやすさが逆に宝物のように輝いていることにも、気づいてしまいました。
これまでの人生の全ては無駄ではなかったと、それを使っていくんだと、決意している自分がいるのです。
そしてこのカード「AWARENESS」【覚醒】。
このセッションではじめ見た時には「げげ。まだまだ、私には気づくべき・向き合うべき課題があるということかぁああ。苦しい」と思いました。
でも、セラピストさんから、「ちぇこちゃんが、世界に向けて「AWARENESS」をさせていく役割であることを指しているんじゃないかな」という言葉をもらった時に、とてもジーンとしました。
私もそうでありたい、と強く思っているからです。
私の憤りとこだわり
「AWARENESS」のカードを改めて感じてみると…。
私の中に、怒りに似た憤りを感じたシーンが2つ出てきました。
一つは、喧嘩や争いの場面で。
争いごとの意味の無さ
私は、幼い時の両親のよくある喧嘩や、他人の喧嘩(争いごと)を見ることが本当に嫌いでした。
今でも嫌いで、争いがあるところや、争いが起きそうな空気を感じたら避けてしまいます。
それは、何なのかと突き詰めて考えた時に、「意味のないことだから」だと思っている感覚がとてもしっくりきます。
例えば口頭での言い争いは、いつも、ちっとも本心で言葉を放っていると思えないと私は思うのです。
本当は、その怒りや暴言の下には、「◎◎したい」「◎◎でありたい」という、その人の願いが眠っています。
例えば夫婦喧嘩で「なんでもっと早く帰って来ないのよぉ」と言っている奥さんの本心は「もっと一緒にいる時間を増やして、笑いながら食事を取りたい」という幸せな時間への想いがあるかもしれません。
妻にそうやって詰められてうんざり、「俺だって大変なんだよ!」と言う夫は、「この辛さを分かってほしい。もっと甘えさせてほしい」と想っているかもしれません。
もし、この「本心」の部分を言い合えたら?
本当の想いを届けるための最短距離は、「自分の本当の思いに気づいて、それを伝えられること」ではないでしょうか。
求めているゴールは同じなのに、自分の本心に気づいていなかったら、そのルートで使う手段が怒りや罵声、皮肉や嫌味に変わってしまう。
そしてゴールがますます遠くなって、欲しいものが得られない…。
私自身もそのループから抜け出せたわけでは決してないのですが、今もこれからも(一生?)訓練していきたいなと想っています。
ちなみに我が家の喧嘩のパターンはこう▼じゃなくて
いつもこの▼パターンです。
おほほほ(笑)
人の心を動かす方法
もうひとつ、私が怒りに似た憤りを感じたこんな場面がありました。
それは、駅で見たマナー啓蒙ポスター。
黄色の背景に、大きなキャッチコピーで
「ぶつかった、とあなたは思う。ぶつかってきた、と周りは思う。」と書いてありました。
とてもインパクトがあるし、読ませるし、秀逸なポスターだと思います。
でも私はこのポスターを見るたびに怒りが湧いてくるのです。
なぜなんだろう…と考えてみたときに思ったことは「このポスターを見たときに、幸せになる人がいない」ということでした。
極端な話、「被害者だと思っているあなたは、実は加害者ですよ」と言っているように思えます。
それを読んだ人は、果たして「そうか私は加害者か…気をつけよう」と思うでしょうか。
もし思ったとしても、それによって何か縛り付けられるような、窮屈感を私は感じます。
電車に乗るのに、それだけみんなが窮屈感を感じていたら、とても息苦しいです。
こういったポスターのゴールはきっと、「みんながお互いのことを思いあって、心地よい駅での時間を過ごしてほしい」ということだと思います。
でもきっと、「みんなが思いあってマナーを守りましょう」では伝わりにくい。
私たち人間はもともと、「不安」や「恐怖」の側面から訴求されると行動しやすいという側面を持っています。
広告においてもそれは鉄板です。私も過去にそういう広告企画を作ってきました(^^;)
でも、ここでもやっぱりゴールとそれを訴求する手段に乖離があるように感じたのです。
もうギスギスした世界は終わりにしたいなと思うのです。
もっと愛の方向から啓蒙できないかな…って、思うのです。
▲例えばこんな感じ(*´ω`*)
なぜか怒りを感じたりイライラすることこそ、あなたのミッションかもしれない
この2つのエピソードを上げてみて、改めて私が憤りを感じるのはなぜなのか考えてみました。
それは、本当の想い(愛)と伝え方(暴力性があるもの)にギャップがあるからだと思います。
それは実は、私自身が「想っていること」と「放っている言葉や行動」にものすごく隔たりがあったからだということでもあると自覚しています。
自分の想っていることがわからなかったから、相手に合わせるのが楽だったし
本当は違うことを想っていても、反論して波風が立つのが面倒くさかったし
でもそれって本当に自分にも相手にも誠実ではありませんでした。
私は自分の本音で、自分のど真ん中で生きていきたい。
そしてみんなが、本当の自分の想いに気づいて、温かく愛に満ちた平和な世界になるように…
私自身ができることもあるはずです。
また、私と同じように、なぜかイライラすることや憤りを感じることに、あなたのミッションが眠っているのかもしれません。
そんなふうに感じてみると、このイライラさえ愛おしいヒントだと思えてくるから不思議ですね。
…というわけで、なんだかものすごく膨らんでしまいましたが、
そんな気づきを改めて得た、OSHOカードを使ったセッションだったのでした!!!
(そうだ、これはOSHOカードセッションについてのブログだったぁああ笑)
おしまい♪