ちぇこです。
ずっと気になっていた映画「しあわせの絵の具」を観てきましたので、感想を残しておきます。
「夫婦」という単位で魅せてくれる愛の物語
はぁ。
感想を…と思って、今こうして文字を打っているだけでも涙が出てきます。
花粉症で鼻水も涙も出まくっているのにそれ以上酷い状態に…笑。
冗談はさておき、それほどに私にとって深く深く胸を打つ作品でした。
物語の概要を引用すると、
カナダの小さな港町で、子供のように無垢で愛らしい絵を描き続けた素朴派画家のモード・ルイス。夫のエベレットは不器用ながらも妻のサポート役として献身的に尽くしていた。孤独だった2人が運命的な出会いを経て、夫婦の絆とたしかな幸せを手に入れた感動の実話を映画化!
というわけなのですが。
なんでしょう。
感想を文字化するのが本当に難しい。自分のボキャブラリーの貧困っぷりが悔やまれるばかり。
小さなころから重いリウマチを患い、両親の他界後一族から厄介者扱いされてきたモードと、孤児院で育ち、日々稼いで生きるのに精一杯だったエベレットが出会い、夫婦になり、お互いに影響を受けあって愛に満ちた生涯を送るわけですが。
このエベレットという男性の不器用さ。
愛することも、愛を受け取ることもへたっぴすぎる物語の冒頭は痛々しいほどでした。
この不器用で頑固で何かあると怒鳴るような癇癪持ちの男性像って、昔の日本の男性とも通じるところがあるというか。
いや、国とか関係なく昔の男性のイメージってこんな感じかもしれません。
例えば私が好きな「赤毛のアン」のおじいさんマシューや、「アルプスの少女ハイジ」のおじいさんともすごくシンクロしました。
不器用という観点では、私が人生で関わってきた男性陣(祖父、父、夫)もみんな、見事に不器用で。
こういった男性陣を見るにつけ年々、「愛おしい」という気持ちが溢れてくるようになっています。
これは私も年を取ったからなのか…!?笑
一方で、重いリウマチを患いながらも、自分の軸を決して曲げず、その世界観を大切にしてきたモードの姿勢が、あまりにも強く美しくて、こんな女性になりたいと願わずにはいられませんでした。
ふたりのやりとりにほっこり
結婚に関するふたりの会話がとても印象的でした。かなりうろ覚えなのですが、
モード「私たち結婚しないの?みんなそうするものよ」
エベレット「しない。俺はその“みんな“のことが嫌いだ」
モード「向こうもね。」
「…でも私はあなたが好きよ」「あなたには私が必要。」
…この「向こうもね」というモードの返しがとても秀逸で(笑)、
エベレットが拒絶している人間関係だったり愛情というものを、拒絶することにより世界にあなたは拒絶されているだけなのだよ、と。
そんなことをユーモアで返しつつ、それでも、私はあなたが好きである、と愛をこめて表現するモード。
たくさんの友達を作り、たくさんの人に囲まれて過ごす人生も素晴らしいですが、
魂が究極に求めているのは、本当の自分の良さを分かってくれて、愛情を注いでくれて、自分も愛情を注げる、そんなたった一人の人を見つけることなのかもしれません。
だから、モードとエベレットのふたりの出会い間違いなく、運命だったのだと思います。
この後、街の教会でささやかに結婚式をしたふたりの姿に、涙腺崩壊。笑
本当に良かった…。
モードにとっても、絵を描くことを取り上げられることなく、愛する人と小さな小さな小屋で暮らす生活はとっても幸せだったに違いません。
絵の具が筆に乗って壁に絵が描かれていくシーンはうっとりしましたし、久々に自分でも絵が描きたくなりました。
絵に人気が出てモードが忙しくなったので、エベレットなりの気遣いで掃き掃除を手伝おうとしたのに、「絵に埃が付く」と言ってドアを閉めちゃうあの「自分軸」全開なモードの姿もくすっと笑えて、キュートで、たまりませんでした。
モードに学ぶイイ夫の育て方
そう。
書いていて改めて思いました。
モードはエベレットをいい男にしたなあ、そしてエベレットによっていい女性になったなあ、と。
モードがエベレットをいい男にした秘訣の1つは、エベレットを上手に立てていたこと。
絵を売る夫に対して「そんなことが思いつくなんてすごいわ」と言ったり、毎日働くエベレットに労いの言葉をかけたり。しかも心からエベレットを尊敬している。褒め上手なんですよね。
そしてもう1つは、揺るがない自分を持っていること。
例えば、障がいを持っている自分に決して屈していないこと。エベレットの(はじめのころの)暴力にも面と向かって立ち向かったこと。夫の精神的な支配下に自分を決して置かなかったこと。そして大好きな絵を描くことを、夢中でやり続けたこと。
その強さはやがてエベレットに影響を与えていき、終盤には「俺を捨てないでくれ」とまで言わせてしまうほどになりました。
これもエベレットの心にある恐怖からの反応ですが、それをまるっと包み込んでしまう愛情と母性があること。
とにかく器がでかいんですよね。
以上の2点が、間違いなく夫を「イイ男」にした所以だと思います。
最期に流れたおふたりの姿から思うこと
物語の終盤はもう涙、涙で、どうしたもんかと思ったものでしたが(^^;)
最期に流れた生前のご夫婦の取材映像を見て、とても幸せな気持ちになりました。
そこに映るふたりはとっても可愛くておだやかなおじいちゃんおばあちゃんでした。
映画としての脚本はもちろん素晴らしかったのですが、実際のふたりはもう少し角が少なくて、穏やかに暮らしていたんじゃないかと想像し、なんとなく安堵している自分がいました。
その後wikipediaなどで調べたところによると、モードは32才と34才のときに両親を亡くしていて、そこから厄介者扱いを受けるわけですが、それまでは両親の愛情を受けて暮らしていたようです。
クリスマスカードも、小さなころから母親と一緒に作って売っていたとのエピソードがあります。
だから、モードの絵を描く個性だったり、自分の世界観を大切にする自己肯定感は、きちんと育まれていたのだろうなと推測されます。
また、英語版のwikipediaを見る限り、エベレットが家政婦の求人を出してモードが応募者として来たことは事実のようですが、その数週間後に結婚したそうなので、本当はものすごいスピードで惹かれあって結婚したのではないか?と、映画とは違ったふたりの結婚に至るストーリーの妄想を繰り広げています。笑
このあたりは、もっと知りたいなーなんて思っているので、
エベレットとモードが暮らした家が移築展示されているというノバスコシア美術館に行ってみたいなという夢ができてしまいました。笑
もともと、赤毛のアンの舞台プリンスエドワード島にも行きたいねと夫と話していたので、プリンスエドワード島といつか一緒に巡ってみたいです。
google mapで脳内トリップしてみたところ、ノバスコシア美術館とプリンスエドワード島は300kmほどの距離のようです。
うーーん。楽しみ。
手帳にも夢として書き加えておきました。
「しあわせの絵の具」。本当に最高の映画でした。
最期にモードの絵をinstagramからペタペタ貼って終わりにします。