ちぇこです。
ついに昨日、ターシャ・テューダーさんの映画『静かな水の物語』が公開となり、観てきました。
前日の夜にネットでチケットを買ったのですが、その時点で一席もまだ埋まっておらず、もしや貸切!?なんて思いましたが
実際に劇場に行ってみたら席は9割がた埋まっていて、やっぱりターシャさんの求心力を感じました。
しあわせの時間と、ざわざわとした気持ちの正体。
今回の映画は監督が10年に渡り取材してきたものに、新しく撮ったものを加えた内容。
ナレーションはなく、ゆったりゆったりと2時間が過ぎていきました。それはまるで、本当にターシャに寄り添っているような幸せな時間でした。
NHKで放送されていた時から、ターシャに対する憧れや尊敬の気持ちでいっぱいだったのですが
どこか寂しいような、観ていてちょっと切なくなる感情がいつも自分の中にありました。
その理由が、この映画を観て、自分の数年間の価値観の変化も加わって理解できました。
それは、ターシャはとにかくすごく繊細で、気高い人だったということ。
だから側からみると気難しく見えると思います。
『人付き合いが苦手で、そこが欠点でもあるの』と言っていましたが、
そうじゃなかったら、
あんな広大な土地で、人影のない土地で、暮らしていくことなんて考えもつかないはずです。
私は、繊細で人付き合いが苦手なところはターシャと一緒ですが(図々しいw)、寂しがり屋でもあるので、当時はそんなターシャを観てざわつく部分があったんだと思います。
ともすると私は
好きなことばかりしていては生けていけない、時には我慢をして、まわりと合わせてうまくやれるようになることが、人間の成長だ!
なーんてどこかで思っていたんです。
でも、ターシャは自分の欠点も含めて、『一生は短いんですもの。やりたくないことに時間を費やすなんて、もったいないわ。』
というメッセージを発信しています。
また、ターシャの孫のお嫁さんのエイミー・テューダーが、
『ターシャから学んだのは、意志の強さと選ぶことの大切さ。何をして何をしないか、誰と会って誰と会わないか。人生は小さな選択の積み重ねでできていると言うのです。すべての選択を真剣に行ったから自分の世界を築けたのです』
とインタビューに答えていて、すごくズッシリと胸に響いてきました。
自分で見ている世界や価値観から、『こうあるべき』というルールを作りがちなわたし。
だけど、本当に魂が喜ぶこと、自分の好きなことを選んで人生を歩んでいくことはできるし、
付き合う人だっで自分で選ぶ権利がある。
誰にも咎められることはない。
改めてそんなことに気づかされました。
ターシャが、その手で種をまいた広い庭に、デイジーの花が満開になった映像はやっぱり鳥肌が立ったし、
嬉しそうに咲く花々は本当に言葉を発しているようでした。
何より、ターシャ自身が本当に幸せそう。
中でも
やりたい仕事は、労働ではなく、楽しみになるのです。
家事も仕事も完璧になんていくわけがありません。
だいたい、世の中に、完璧なものなんてないでしょう。開花したばかりの花や、生まれたばかりの赤ん坊くらいじゃない?
というセリフはやっぱり痺れましたねぇ…。
こんなふうに、『自分』の喜ばせ方をきちんと知っていて、自分を幸せにすることにフォーカスし続けたターシャの姿は、私の目標そのものです。
やっぱりターシャは、現代に現れた気高い魔女のよう。
そんなふうに思えた良い映画でした。
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